2006年02月22日

メモ

2月21日、とりあえずコメントを入れたのでコピペ。

http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/comment?date=20060224#c

# 十条 『>「だから俺が最初から言ってた通りだったじゃん!」

これは「愛さん」が「最初から」言っていた通りだったという意味でしょうか。
1月16日に私が質問した時点では、愛さんは伊吹さんのテキストの存在も知らぬまま「焚きつけた人たち(団体)が‥」と述べていました。
ということは‥「愛さんが最初から言ってたとおり」に、徳留さんと伊吹さんがテニーさんを「焚きつけた」というのが愛さんの現時点の認識、ということですか。

そうすると、私としては1月16日22:16の質問を繰り返さざるをえないですね。
「それ以前に、『焚きつけている』あるいはレスター・テニーさんが『焚きつけられている』という認識は、どういう根拠に基づいているのでしょうか」』 (2006/02/22 02:28)
posted by 十条 at 02:18| Comment(7) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは。私は当該コメント欄に『「焚きつけた」という表現を中傷的表現だと決め付けて非難するのはいかがなものか(大意)』という内容のコメントをしたものです。根拠としてはhttp://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E7%84%9A%E3%81%8D%E3%81%A4%E3%81%91%E3%82%8Bで、上位30番目くらいまであたってみても中傷的な用法のほうが少数派だった、ということでいかがでしょうか。
とりあえずご報告まで。
Posted by あだ at 2006年02月24日 03:31
グーグル上位30位? なんで辞書を調べない?

goo辞書の「焚きつける」の項

(動カ下一)[文]カ下二 たきつ・く
(1)火をつけて、燃やし始める。
「風呂を―・ける」
(2)おだてたり、けしかけたりして、その気になるようにしむける。そそのかす。
「周りから―・けられて立候補する」

Posted by カッツン at 2006年02月25日 01:49
辞書上の意味に加えて、愛・蔵太さんがタイトルで「ユダヤ人団体をあおっている」と書いており、本文で「焚きつけている」と書いている、ここから「焚きつけている」が「あおっている」ときわめて近い意味で使われていることはほぼ疑いないと思いますが。
Posted by 十条 at 2006年02月25日 03:24
まず「誘導」の有無が論点ですが、愛さんは誘導があったという証拠を示していません。
愛さんは証拠なしに「焚きつけた」と表現し、さらにタイトルでは「あおっている」という表現を使用しています。つまり、「誘導」行為に対し「煽る」という表現を、「証拠」なしに行っているわけです。
Posted by 十条 at 2006年02月25日 03:31
すいません、いらん茶々を入れて混乱させましたね。以後自粛します。

カッツンさんへ
ええと、実は同じgoo辞書を調べた上で、1の転用としての「何かを刺激して反応を増大させる」が無いなあ、と思ったのでgoogle検索してみました。言葉足らずで申し訳ありません。

十条さんへ
あおる、をgoo辞書で調べてみると4番目に「他人を刺激して、ある行動に駆り立てたりする。たきつける。扇動する。」とあります。ということで図らずも「煽る」という言葉ですら中傷的表現とは限らないとgoo辞書に保障されてしまったわけですが、それは私の言語感覚とはズレているということは表明しておきます。

さて「誘導の有無が論点」とおっしゃいますが、そもそも「たきつける」の用法における誘導の概念の有無が食い違っているのでその違いを確認しあって終了、だと思うのですが。それ以上は「言葉を使ったときの意図」の話なので、当事者で無い私が口を挟む余地は無いですね。失礼しました。
Posted by あだ at 2006年02月25日 12:56
カッツンさん:
>グーグル上位30位? なんで辞書を調べない?

インターネット文書をコーパスとして利用すること自体に問題はないと思います。問題は、
・「グーグル上位30位」というサンプリングの妥当性
・インターネット文書という母集団を日本語使用場面全体のなかにどのように位置づけるか
・「少数派」であることからどのような解釈をみちびけるか
が検討されていないことではないでしょうか。このあたりの話は
「特集 インターネット検索技術と日本語研究」『日本語学』23(2) (明治書院) 2004年 (ISSN 0288-0822)
にのっていたはず……と思ったら、手元になくて確認できませんが、いちおう「焚きつけて」おきます。

資料批判や理論的検討をせずに資料だけを提出する「愛・蔵太的手法」は混乱をまねくことがある、というのがとりあえず今回の問題からえられる教訓かな、と思っています。
Posted by 田中 at 2006年03月01日 17:57
押し後残します
Posted by 人妻 at 2008年01月26日 17:45
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